2
翌日。片山はその日も朝から考え続けていた。
「いかなる場合でも言い訳をしない人を選んでください。負けは負けと認めて、次に勝利をめざして前進できる人材を、社内から発掘してください、か……」
そんな人材が果たしてうちの会社にいるのか?今までの助言と比べるとずいぶんと漠然としていると片山は感じていた。
レノン・コンサルティングの最初の助言は、売上至上主義にメスを入れることだった。価格競争からの即時撤退が提案され、片山鋳造の強みが活かせる特殊鋳造を当面の戦略分野とし、受注拡大へ注力することが強く推奨された。同時に顧客の絞り込みの提案が行われ、業種別に重点顧客リストが明示された。さらにそれらに対して、何を訴求すべきなのかも具体的に伝えられた。
これには古参の役員たちが猛反発した。もちろん、役員たちはレノン・コンサルティングから指導を受けている事実を知らされていない。毎回、経営会議や営業会議が紛糾する中、片山はほぼ独断で改革を推進した。それ以外にもう道は残されていなかったからだ。結果として製品群は三分の二に絞り込まれた。そんなことをすれば、ますます業績が悪化するに決まっている。そんな古参の役員たちの苛立ちとは裏腹に、キャッシュフローは急速に改善していった。売り上げも改革から六か月目には前年度を越えた。同時に今期の黒字決算が確定した。まさにV字回復だった。
●
扉を叩く音がする。壁の柱時計を見上げると、約束した時間の三分前だった。「はい」と返事をすると、少し間を置いて、眉間に深い皺を寄せた常務取締役の吉川五郎と、営業マネージャーの岡田祐二が社長室に入ってきた。
「本日は貴重なお時間をいただき、誠に申し訳ございません」岡田が神妙な面持ちで頭を下げる。
「では、テーブルのほうで伺いましょうか?」
社長室には重厚な机、本革の応接セット、六人掛けのオーク無垢材の会議用テーブルが置かれている。どれも先々代から使い込まれている年代物だ。
吉川は岡田に入口側の席に座るように顎で指示すると、自分は片山の右隣の席に座った。いつもは威圧的な態度を取る吉川だったが、今日はその勢いがない。
岡田からの報告内容は、レノン・コンサルティングからの定期レポートを通してすでに知っていた。レノン・コンサルティングは、カンパニー・ビュワーにより、社内のすべての情報を掌握している。
片山は社長就任以来、役員たちから常に反発を受けていた。特に敵対的な態度を露わにしていたのが吉川だった。片山が改革をスタートした直後に、吉川が立ち上げたのが、営業マネージャーの岡田をリーダーとする特販チームだった。
特販チームは結成時からすでに迷走していた。吉川が秘策として打ち出したのは、闇雲な飛び込み営業だった。ハードな営業スタイルで片山鋳造を急成長させてきた吉川らしいやり方だった。この方法で会社を大きくしてきた、という自負もあったのだと思う。だが、それはもう何十年も前の成功体験だ。その当時とはあらゆる状況が変わっている。同じ方法はもはや通用しなかった。
片山の改革が成果を上げる一方で、特販チームは成果らしい成果を出すことができないまま、今日を迎えた。チームリーダーは岡田だったが、特販チームを陣頭指揮していたのは吉川である。しかし、今、その責任を問われようとしているのは、岡田だった。岡田が座らされている位置は裁判所ならまさに被告人席だ。
岡田は静かに立ち上がり、深く頭を下げた。
「結果が出せず、大変申し訳ございませんでした。すべての責任はリーダーである僕にあります」
岡田は下げた頭を持ち上げ、まっすぐに片山を見た。澄んだ目をしていた。責任を押し付けられた苛立ちや悲しみは、その表情から一切感じられなかった。
「特販チームの、これまでの活動と、活動結果に関してご報告いたします」
岡田からの詳細な報告が続いた。片山は報告を聞きながら、特販チームの活動は、まったくの無駄ではなかったように感じ始めていた。事実、岡田も活動を通して、今後に生かせる、たくさんの気づきがあったと報告した。そして、今後の営業活動に関する前向きな提案もなされた。一方、吉川は不満を露わにした表情で、岡田を睨み続けていた。すべての報告が終わり、岡田は再び立ち上がった。
「ご期待を裏切る結果となり、誠に申し訳ございませんでした。全責任は私にございます。以上で報告を終わらせていただきます」
言い訳をせず、負けを負けだと認めるとは、こういうことなのか?片山はレノン・コンサルティングが求めていた人材は岡田なのだと確信した。
特販チームの報告が終わり、片山は岡田にだけ残るように言った。吉川は、憮然とした表情で、結局、発言らしい発言もなく社長室を去った。
「岡田くん。特販チームは、この報告をもって解散とします。今日まで懸命に活動してくれて本当にありがとう。感謝しています。特販チームのメンバーにもそう伝えてください。みなさんの努力は、何らかの形で必ず活かしていきます。そして、岡田くんには、新たにやっていただきたいことがあります」
「はい」岡田は緊張した顔でこたえた。
「――あなたをマーケティング室の室長に任命します」
岡田にはその言葉の意味が、うまく理解できなかったようだった。
「すいません、社長。もう一度、お伺いしていいですか?」
片山は笑いがこみ上げてきた。岡田の右手を無理やり掴んで、その手を何度も上下に動かした。戸惑う岡田をよそに、何かが始まる予感に心が躍った。